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森田かずよ×北村成美 対談「一人ひとりの身体の多様性」 レポート

社会福祉法人グローでは2018年、義足の女優・ダンサーである森田かずよ氏、湖南ダンスワークショップ(※1)でディレクターを務める北村成美氏による公開対談を開催しました。障害と向き合いながら活動を続ける二人のダンサーが話し合った内容を、レポートとして紹介します。

Bonvacance656森田かずよ×北村成美『ボン・バカンス!!』

1.ソロダンサー二人のキャリアと共通項

司会:
まずはお二人の現在までのキャリアについて、お伺いできればと思います。

北村:
私は6歳からバレエを始めましたが、決まったダンスをするのが、苦手というか、あまり好きじゃなかったんですね。振付を自分流に好きなように踊っていいものだと思ってやっていたので、ずっと先生から怒られていましたが、怒られる理由がまったく分からなかったんです。高校3年生のときバレエ教室を飛び出して、自分でダンスを作ったり、お芝居をしたりしていました。

振付を学びたいと思い、20歳の時、イギリス・ロンドンのラバンセンターという学校に留学しました。そこでは、「コミュニティダンス」という、いわゆる市民の方々との踊りについてのプログラムもありました。そこで学んだことがきっかけになり、帰国後は自分のダンス作品を作るだけではなく、様々な国、年代の方とか、いろんな個性を持った人たちと踊ることをライフワークとして始めました。

私のダンサーとしてのキャリアは、ソロダンスの部分が多くを占めています。自分の身体一つで、衣装と小道具、身の回りのものだけをカバンに入れて、日本全国、そして時には海外にも出かけていき、その土地の人、文化とか風土に触れながらダンス作品を作り、踊ることに取り組んできました。

湖南ダンスワークショップでの活動は2004年から始まりました。私は湖南ダンスワークショップのダンサーたちと出会うまでは福祉に関して何の知識もありませんでしたが、「北村さん、こういう人たちとは踊れませんか?」っていう風にお誘いをいただいたのがきっかけで、今に至ります。2017年の作品では初めてフランスのナントという所に招待され、海外公演をすることもできました。

決められたダンスを決められた通りにやるというよりは、その時その場にいらっしゃる方たちとどんなことができるかを考えてダンスを作り、踊っています。湖南ダンスワークショップだけに限らず、「乳幼児抱えたお母さんとは踊れますか」とか、「耳の遠い人と踊れますか」とった、いろんなお誘いを受けていく中で、ダンスを踊ったことがない方たちと一緒に何か作品を作っていくっていうことにどんどんはまっていきました。

それは、舞台人として楽しいからです。その人たちに何か手助けをしてあげようとか、教えてあげようという気持ちは全くありません。一緒に踊ったらめっちゃ楽しい人がいたり、それまで踊れなかった人が踊れた瞬間に、それまでの苦労が全部報われて楽しさが残る、そういった気持ちにハマっていってる感じですかね。

「この人たちとどうやったら踊れるか」ということを考えていくこと自体が、すでにダンス作品ではないかなという気がしています。そんな中で、森田さんとも出会い、一緒に作品を作ることになりました。

森田:
私は二分脊椎症と側湾症という障害を持っています。二分脊椎症は脊椎損傷にも似た生まれつきの障害で、そこから運動障害や排泄障害などの機能障害が出ています。

また私は側湾症とよばれる、いわゆる脊椎が曲がったような状態で、右の肋骨が三本欠損しています。雑巾を絞るような形の曲がり方をしているので、あまり矯正することもできません。あと右足の脛骨という骨がなく、義足を使っています。肺活量が年々低くなってきたので、移動には車椅子を使ったりとか、いろんなツールを使いながら生活をしています。

私は今、俳優・ダンサーとして活動しています。高校2年の時に宝塚歌劇を見て、舞台に対する憧れを持ちました。その後、音楽座のミュージカルも見て、ミュージカルや演劇が好きになりました。その時は単なる憧れだったのですが、たまたま進学にあたってそういう芸術系の大学を一つ受けてみたいなと思って、とある芸術大学に入試を受けたいことを伝えたら、障害があるということを理由に入試を断られました。

私にとって、それは自分が「障害者」だということへの気付きになったんですね。それまでは学校に行ってもできないことはありましたが、「障害があることで何かできない、何かしてはいけない」ということは経験したことがありませんでした。障害のある人が表現することが、こんなにもまだ社会では認められていないんだ、ということを、その時気付きました。だからこそ逆にやってやろうという悔しさが沸き、最初の頃はそれがモチベーションになっていました。

その後芸術系ではない大学に行き、4年間演劇部に所属した後、ミュージカルスクールに入りました。そこは障害があっても受け入れてくれたので、本当にラッキーだったと思うんですけど、そこからジャズダンスをやり、バレエをやり、タップダンスをやり、車椅子ダンスもやって、ありとあらゆることをやったんですね。そしてその後、ドイツのヴォルフガング・シュタンゲ(※2)という方のワークショップを受けました。そのワークショップを受けたことで「もっと自由に踊っていいんだって」ということに気づきました。

私にとって、ダンスのいろんなレッスンを受けることは、洋服を選ぶような感じなんですね。すべては合っていなくても、この袖の長さはいいなとか、このスカートのキラキラしている部分はいいな、みたいな感じで、自分の身体に合う部分を取り入れてきた感じです。

その後、奈良の劇団に所属して演劇を始め、「エイブルアート・オンステージ」(※3)という事業に、自身のユニット「CONVEY」や、NPO法人ダンスボックス(※4)の「循環プロジェクト」メンバーとして参加しました。2012年に奈良県の障害者芸術祭「鹿の劇場」で上演した『アルクアシタ』という作品ではソロダンスを踊ったのですが、これが義足を外して踊った初めての作品です。

ちょうどこの頃、車椅子に乗り始めた頃で、人にとって歩くということはどういうことなのか、考えていたのですね。私にとって義足を外して這って歩くことも、義足をつけて歩くことも、同じ「歩く」であったので、自分にとって歩くっていうことをダンスにしようと思い、作りました。なので、義足を外す行為も含めて振り付けにしています。

この作品は今も年1回ぐらいのペースで再演しています。振り付けはもちろん決めているんですが、身体によって変わってくるといいますか。できなくなったこともありますし、もっと違う表現ができるようになったこともあり、少しずつ進化し続けている作品です。

それとは別に、大阪で「ピースポット・ワンフォー」というスタジオを運営しています。特に障害に関することを打ち出しているわけではないのですが、私自身がダンスを始めようと思った時に、なかなか受け入れてもらえる場所ができるのに時間がかかったので、いろんな障害のある人もスタジオを街中に作りたとい思って、10年ほど前に設立しました。

P1620030_3森田かずよ氏

北村:
森田さんも私もソロダンサーですが、二人がコラボレートした作品を作ることになったきっかけは、ダンスボックスでの出会いでした。東日本大震災の後、私たちダンスをやっている人間に何ができるか突き付けられた時期がありましたが、その時「もっと色々なつながりの中で作品を作っていこう」ということから、ダンスを作りたい人・踊りたい人・手伝いたい人の「お見合い」を、ダンスボックスさんが企画しました。そこで、森田さんと私が出会い、いずれ一緒にやろうという話になりました。

その2年後に、やはりダンスボックスの別の企画で上演できるチャンスがあり、そこで初めて一緒に踊りました。 

森田:
稽古初日はスタジオで、最初に「なんでダンスをしたか」とか、「今までどんなことをしてきたか」といったことを二人でしゃべったんですよ。お互いのソロの作品は見たことあったけれど、そこまでしゃべったことはなかったので、とりあえずお互いを知りましょうと、1時間くらいしゃべりました。

北村:
その後、何の段取りも決めずに二人でただただ1時間、踊り続けました。すると、共通するところをすごく感じたんですね。私は湖南ダンスワークショップをやっている時は、32人のダンサー全員の違いをどう見せていくか、みたいなことに興味が行くんです。でも、森田さんとは少し異なりました。

しゃべった時には共通点だけではなく違いも色々と見つけたんですが、踊った時は、質感にすごく共感できるところがたくさんあったので、これは徹底的にユニゾン(※5)をやろうということに行き着きました。そうしてできたのが『ボン・バカンス!!』という作品です。

二人ともバレエがベースになっているので、最初はバレエの動きから作っていったんですね。練習曲みたいなアダージョ(※6)を二人で踊る場面を作った後、さらにその前後の部分を作っていきました。二人で会話を重ねながら作っていった感じでしたね。

森田:
稽古初日のクリエーションは本当に印象的でした。障害のある人が参加するダンスのプログラムではお互いの身体の違いに注目するアプローチを取ることが多いので、共通のことを探そうって言われたのは、私にとってすごく新鮮でした。

 

(※1)湖南ダンスワークショップ
2004年、滋賀県で開催される「糸賀一雄記念賞音楽祭」への参加を機に活動を始めたダンスグループ。主要メンバーは、野洲市・守山市を中心とした地域の障害福祉施設や地域で生活する障害のある人たち。活動開始時より北村氏がディレクターとして関わる。フランス・ナント市で開催された「2017ジャパン×ナントプロジェクト」、パリ市で開催された「2018ジャポン×フランスプロジェクト」で海外公演を実施。 

(※2)ヴォルフガング・シュタンゲ
舞踊教育家、振付家。1947年ベルリン生まれ。1970年代前半、精神病院の患者にダンスを教えたことが機会となり、様々な障害のある人・ない人が共に身体で表現する「ダンス・ダイナミクス」のメソッドを創り出す。1980年、アミキ・ダンス・シアターカンパニーを設立。以降、数々の舞台を発表するとともに、世界各地でワークショップを展開している。

(※3)エイブルアート・オンステージ
2004年から2008年までの5年間にわたる、明治安田生命による社会貢献プログラム。障害のある人が参加する、さまざまな舞台芸術の取り組みに対して活動を支援した。

(※4)NPO法人ダンスボックス
1996年、大阪で実行委員会を設立し、事業を開始。2002年、NPO法人格を取得。2009年より拠点を神戸・新長田に移し、劇場「ArtTheater dB 神戸」をオープン。コンテンポラリーダンスを活動の中核とし、公演・ワークショップの開催のほか、地域・行政との協働事業や、国際交流事業を展開している。

(※5)ユニゾン
複数人が同時に、同じ動きで踊ること。

(※6)アダージョ
複数の動きをゆっくりと行うこと。または、二人でゆっくり優雅に踊ること。

 

2.障害の有無に関わらず良い作品をつくるための、様々な配慮

司会:
お二人の作品づくりの過程では、「障害」と呼ばれる様々な要素は、創作にどんな影響を与えていますか?

森田:
作る段階においては意識したことはほとんどないですね。ただ、障害がある・ないに関わらず、その場にすぐに馴染めない人もいますよね。明らかに不機嫌なときは不機嫌、嫌なことは嫌ってはっきり言う人もいます。でもそれって結局、信頼関係の問題であって、その場所に対しての安心感とか、ファシリテートするダンサーを信頼できたら、たぶんすんなりいくんです。そういう人たちと一緒に作品を作るときは、信頼関係ができるまで時間がかかることを意識しておくことが大切だと思います。

北村:
舞台に立つ周辺には、例えば決められた時間までに楽屋に入るとか、舞台監督から呼ばれるまで舞台に上がってはだめとか、色々なルールがありますよね。そういった舞台に立つことの周辺、いわゆる生活に近い場面においては、障害のあるなしに関わらず、その人が気持ちよく立てるよう気遣えた方がいいと思うんですよ。そういう細かいことをクリアにして、すっと舞台に出れた方がいいから。

アーティストによっては、良いものができるまで何回もリハーサルをやり直したり、作品を一から作り直すことが平気なタイプの人もいます。けれど、それだと耐えられない人もいるわけですよ。だから私は、リハーサルで本番同様のものを一発でやれるようにするための用意を心がけています。「これはリハーサルです」という意識でやろうとすると、ダンサーも力を抜いたものしかやらなくなります。でも、そのリハーサルを「本番」にすれば、ダンサーも本気でやってくれるじゃないですか。リハーサルでやっている内容がそのまま本番に活かされていくためには、その方が合理的だと思います。

そのためには、リハーサルの前段階で、本番には不要な情報をできるだけ取り除いて、クリアにしておくことが重要です。だからそのための舞台作りであったり、そこに至るまでの打ち合わせとかっていうことは、ものすごく綿密に、周到にやりますよね。この考え方は、障害のあるダンサーだけに限らず、体育会系のダンサーだろうが、32回転ができるダンサーであっても、同じだと思います。そういう風にリハーサルをしていた方が、やっぱりいいものが出てくるんですよね。

P1620043_2北村成美氏

森田:
パフォーマンス上がりますよね。

北村:
絶対上がりますよね。そういう意味では、いわゆる障害のある人たちからそこを学ばせてもらったことで、私自身の舞台での立ち方もすごく変わりました。毎回本番としてやった方が、一緒にやる照明や音響のスタッフの人にも分かりやすいと思うわけですよ。常に本番体制を作る。それは今、私の座右の銘になっていますね。

司会:
湖南ダンスワークショップは、毎回のワークショップを「湖南音楽祭」と呼んで、本番をやっているということが特徴的ですよね。

北村:
いわゆる世間一般で言う「ワークショップ」は、実はやっていないんですね。「湖南音楽祭」という本番をやる集まりというか。だからこそ、毎回がすごく面白いです。

森田:
ワークショップは何人でやっているんですか?

北村:
いわゆる障害のあると言われてる人たちが24人いて、その他に施設の職員さんとか、私みたいなダンサーとか、いろんな人たちが入るとダンサーは32人になります。これ以外にも、最近は衣装を作る人や、マネージャーがメンバーに入りました。

森田:
カンパニーですね。

北村:
衣装も全部オーダーメイドで、その人の身体とか動きに合わせて作ってもらっています。メンバーの中には気に入らない素材だと服を脱いでしまう方が居て、そうなると舞台に立てないですよね。だからその人に気に入ってもらえるような衣装を作って着てもらうことがとても重要で。

衣装を渡して時に手触りを認識される時は、めちゃくちゃ緊張します。本番でも着てくれるかどうかの雲行きが怪しい時は、2種類を用意したこともあります。本当に着てほしい衣装のほかに、それを着なかった場合用に、とにかく1枚の大きい布で、腰に巻けるものを作っとこう、みたいな。

森田:
衣装にも相性がありますよね。

北村:
それは、私たちにとってすごく重要なプロセスでもあるし、それ自体がクリエイティブな作業だと思っています。

森田:
私は既製品ではなかなか身体に合う衣装見つけられなくて、いつも無理やり身体に合わせてることが多いのですが、オーダーで作ってもらっても、上手く合わないこともあります。それで時間がないから無理やり身体に合わせる、みたいなことが多くて。だから、脱いでしまうのは正直でいいなと思います。ダンサーにとって衣装は本当に大切ですね。

北村:
大切ですよね。身体の一部分のようなものなので。

 

3.即興と振付

司会:
障害のある人が関わるパフォーマンスでは、その場で即興的に表現が生まれることを前面に打ち出したプログラムが多いですが、北村さん、森田さんはお二人とも、振付への意識が強いかと思います。

北村:
そうですね。湖南ダンスワークショップの作品って、即興のように思われることが多いのですが、実は一人一人に対して、めちゃくちゃ緻密に振付しています。ただ、振付と一言でいっても、いろんな捉え方があると思います。

湖南ダンスワークショップの場合には「その人のやっている動きを、横で私も一緒にやる」というアプローチの仕方です。そうすることで、その人が習慣的にやっている動きを、意識的にダンスにしていきます。そこから、その人に動きをやってもらうためのアプローチ方法は、その人の数だけあります。同じやり方で全員ができるとは限らないわけですよ。

その上で、月に2回のワークショップの中でやる「湖南音楽祭」と呼んでいる本番の時間に、その人が、その動きを必ずやるっていうことを習慣化していきます。要は習慣から作ったものを、習慣化するっていうことを一年間続けているわけです。その習慣と振付の循環が屋台骨としてあった上で、その周りにいる人たちは、そこを自由に出たり入ったりしても良いのです。それがもう一つの、大きなルールになっています。だから、毎回のパフォーマンスは違ってきます。

なので、即興と言われる要素は確かにあるのですが、もし完全に即興だけで振付がなかったら、ダンスが習慣化されないので、舞台に上がってもたぶん何もできないし、もしかすると舞台にも上がってこないかもしれないんですよね。湖南のメンバーが「湖南音楽祭」を楽しめているのは、やっぱり振付があるからではないかという気がしているんです。

湖南ダンスワークショップでは1年に1回新作を作っているんですが、作り始めたての熟成されてない頃って、メンバーはすごく動きが悪いというか、動けないんですよ。実は湖南のメンバーって、あまり即興は好きじゃないっていう人の方が多いと思います。決まりきっていないものに対しては、すごいノリが悪いんですよね。

だから一本の作品を作り始めた頃の湖南音楽祭は、すごく時間も短いし、動いている人も少なかったりするんです。でも、時間をかけて積み重ねていくうちに、ある程度自分がやることが分かったら入ってくる人や、「分からんけども、こうなったらこうなんやろ」って感じにひたむきにやる人が出てきます。

そうしたことが網目のように重なった結果、回を重ねるごとに動く人が増えてくる、っていう感じなんですよね。そういう意味では、湖南のメンバーは私のことを振付家としてすごく厳しく見てるな、って感じるんですよ。言葉では言わないですが、「そんなまだ曖昧なもん、やらんわ」みたいな。

森田:
厳しい。

北村:
厳しいですね。曖昧だと確実にノリが悪くなります。

森田:
自分でソロ作品を作るときは、まずゴールと、そこまでの中間地点を作るようなイメージというか。そこにたどり着くまでのルートは自由だけれど、設定した中間地点は必ず通る、というルールを決めておくんですね。なので毎回完全即興でもないし、振付のみでもないという、その間をとった振付の仕方です。

一方、即興は私にとって、すごく怖いものです。その時により、コンディションだって大きく影響するじゃないですか。ただ、即興から振付を作るという形がありますよね。山ほど即興した中に素材は詰まっていて、そこから振付を立ち上げていく方法です。その方法が私には馴染むというか。身体を通して相手を知ることは、即興では有効な手段かと思います。

質問者1:
湖南ダンスワークショップでは、同じ音楽をかけているのでしょうか?それともいろんな音楽を使われていますか?

北村:
基本的にCDでBGMをかけていますが、最近ではピアノを弾いたり、カホンを叩いたり、手拍子したり、床を叩いたりといった具合に、自分達で音を出すときもあります。あと糸賀一雄記念賞音楽祭(※7)では、小室等さん・坂田明さんっていうすごい名だたる人たちが演奏しに来られますが、その前の時期にやる「湖南音楽祭」にはその方たちが来てくださることもあるんですよ。そういう時はすごいノリノリです。

質問者2:
メンバーは、即興で音を出しているのですか?

北村:
実は結構デザインしています。即興的に偶発的に起こる音を活かそうとすると、延々と時間がかかっちゃうんですよね。

だから、始まりがあって真ん中の盛り上がりがあって終わっていく、っていう一つの音楽になるように仕向けています。ただ、途中でメンバーから出てくるものがあれば、そこにこちらも乗っかって行くような感じですね。

質問者3:
小室等さんたちが入るとノリノリになるとのことですが、その違いってなんでしょうか。

北村:
小室等さんたちのような、いわゆるプロのミュージシャンの方たちも、自分たちの演奏をしに来ているわけじゃなくて、私たちと一緒にやって下さるんですよね。その一緒にできる回数が年に数回と限られてるから盛り上がるんだと思うんです。

それと、小室さんたちは今回の作品の中でダンサーたちが何をやろうとしてるのかっていうのを、すごくデリケートによく見てくださって、その中で必要最小限の音を出すっていう感じから始めます。それでも音が多いときには間引いたりするぐらいですね。だから音楽自体がノリノリの曲というわけではないです。ただ、どこか途中でガッと燃え上がる瞬間を作ったりもします。そういった感じで一緒に作っているから、ダンサーにとってもやりやすいのだと思います。

(※7)糸賀一雄記念賞音楽祭
障害福祉の発展に尽力をした糸賀一雄氏の志を受け継ぎ、障害福祉等の分野で顕著な活躍をする個人・団体に授与される「糸賀一雄記念賞」の受賞者をお祝いするため、2002年より滋賀県で開催されている音楽祭。知的障害のある人を中心に、施設職員やプロの音楽家・ダンサー等、約200名が毎年出演している。)

 

4.「プロ」として踊るということ

質問者4:
「プロ」と「アマチュア」の違いについて、どう思われますか。また、湖南ダンスワークショップのメンバーの人たちは、「作品」という意識を持って踊っているのでしょうか。

北村:
自分のためだけに踊っているのか、人のためにも踊れるのか、そこがプロとアマチュアの違いだと思います。プロであってもアマチュアであっても、自分のためという部分は必ずあるんです。でも、それが自分のためだけなのか、それとも他者にも開かれるのかどうかというところに、最初の分かれ道があります。

私はこの人のために踊りたい、この人に見せたいと思って踊るということは、プロと意識していることに等しいと、私は思います。百人、千人の心を動かすのは大変ですけど、やはりプロとして立つからには、たった一人の人でもいいから、見てる人に対して何か影響を与えられるところまでやることが必要だと思います。

私は湖南のメンバーに対しては、一回一回のワークショップを本番、舞台に上げるものは作品と呼んでいます。実際のところ、メンバー達がそのことを、どのように認識しているかまでは分かりません。ですが本番をやっているとき、目の前にいる観客の人たちのために踊ることへの意識を高く持っているメンバー達がいることは確かです。そのような人たちを、私はプロだと思っています。

ただ、湖南のメンバーだから全員プロに達しているかと言うと、まだそこに至っていない人が居ることも事実です。それはテクニックではなくて、自分のためだけ、っていう檻から出られない部分というか。

でも、未完の状態やプロには至れない状態も全部含め、舞台の上でそれを一つの作品世界としてデザインするのが私の仕事だと思っています。

森田:
ダンサーでいうと、私は障害を含めて客観視ができるかどうかっていうのが大きくプロとアマチュアの違いになると思っているんですね。障害に依存しすぎたり、自分を見せることだけに固執するのではなく、客観的にそれが見えるかどうか、それを自己責任でやれるかどうかが、大きな違いだと思います。

私は舞台上で義足を外したりしますが、それは、別に障害を見せたいと思ってやっているわけじゃないんです。自分の身体の一部として、ダンスとして見せるのが、プロダンサーとしての自分のプライドだと思うので。その客観性は、舞台に繰り返し立っていくことによって、磨かれていくものだと思います。

Bonvacance355森田かずよ×北村成美『ボン・バカンス!!』
 

5.一人のダンサーとして ―支える力、ともに立つ力―

森田:
先日、「トラストダンスシアター」という20年くらい活動をしている韓国のダンスカンパニーと、現地でクリエーションをしてきました。

このカンパニーでは昨年から障害のあるダンサー育成を目的にしたプログラムを始めました。私はこのカンパニーのダンサー3人と作品を作ったんですが、一人は脳性麻痺のあるダンサーで、足にも障害がある人です。その子が、椅子の上に立つシーンがあって、まあ危なっかしいなと思って見ていたんですよ。

クリエーション初日は、彼女は椅子に腹ばいに乗るくらいから始まって、しゃがむことまではできても、立つのは難しかったんです。1週間のクリエーションの中で、彼女と組む、いわゆる「健常」のダンサーは、彼女に横についてずっとサポートしながら、立ち方を口で説明していました。韓国語だったので詳しくは分からなかったんですけど、立ち方とか、どこに体重を置けばいいかとか、どうしたら立てるかを、全部話していました。それで、最終的に彼女は椅子に立てたんです。

彼がダンサーとして伝えていたから、彼女もたぶん、すんなり身体に取り入れられたのだと思います。彼女の障害のある身体を見ながら、その身体の使い方についてアドバイスができるダンサーというのはあまり見たことがなく、すごいと思いました。

北村:
すごいですね。 

森田:
それと、私がクリエーションをした人たち以外にも、この人材育成プログラムに参加している障害のあるメンバーが何名もいたのですが、その中にいた10代後半の一人の女の子が、印象に残っています。

彼女は、他の15人くらいのメンバーと一緒に舞台に登場します。奥にある長椅子にみんなが座って、その中の何人かが交代で舞台前に出てきて踊るというシーンがあるのですが、その子だけは踊りに全然参加しなかったんです。でも代わりに、彼女はリズムに関心があり、長けていたことが分かったんですね。

そこで、彼女の出番となるシーンが作られました。別の一人のダンサーが舞台前で、小さいマラカスをシャンシャンと鳴らすんです。すると彼女は椅子から立ち、喜んで前に出てきて、同じようにマラカスをシャンシャンと鳴らして真似をします。この真似を繰り返していくのですが、ダンサーが鳴らすリズムは即興でどんどん変化していきます。しかし彼女は、どれだけリズムが変わっても、それを正確に真似するんです。

そのシーンが舞台上で成り立っていたのを見て、すごくピースフルだと感じました。彼女にそういう能力があると分かって、このシーンを作ったのだろうと思います。後でカンパニーメンバーに聞いてみたら、クリエーションをしているスタジオに彼女が入ってくるまでは半年かかった、と言っていました。

そこまで時間がかかるものだし、それを経て彼女独自の「ダンス」がその場所で繰り広げられているということに、私は心を動かされました。時間をかけ、ダンサー一人ひとりのことをよく知って作品が作れるのは、すごく贅沢なことだと思います。それこそ、湖南ダンスワークショップさんみたいに15年とかの長い間継続してやらないと、難しいこともあると思います。

トラストダンスシアターは障害のある人とのダンスを始めてまだ一年だけですが、それができたのは、毎週レッスンをしているからだと思います。さらに本番が近くなるとレッスン時間も増やしていく。やっぱり、それだけ継続して物事をやっていくことが大切なのだと思います。

ただ日本だと、期間限定のプロジェクトで終わってしまう企画が多いですよね。たとえ毎年にやっているプロジェクトで、継続的に参加してくれるメンバーがいたとしても、やっぱり1年間のうち3ヶ月だけとかでは、やれることが限られてきます。そこが難しいところです。

北村:
森田さんのお話は、先ほどの衣装をオーダーメイドで作るという話とも通じていると思います。振付家がダンサーのためにする「振付」とは、そういったことの一つ一つではないでしょうか。

森田:
そういった意味では、海外で障害のある人と一緒に踊るダンサーの中にはレベルが高い人が何人もいる印象です。でも日本では、どうしても手助けをするっていう方向に目がいってしまうダンサーが、まだ多いように思います。ダンサーは一緒の場を作ろうとして色々と試みるのですが、それが結果として相手となる障害のあるダンサーのレベルを下げてしまう、ということが色々な現場で今、起きているんですね。

だからちょっと厳しく言うと、一緒に踊るダンサー側が本気でやらないと、たぶん障害のあるダンサーには勝てないというか、相手をされないと思います。

北村:
私も本当にそう思っています。だから、まずは私自身が常にパフォーマーとして磨き続けないといけないと思います。第一線で踊り続けているうちは、湖南ダンスワークショップのディレクターとして作品を作れると思うんですが、もし舞台人としての一線から引こうっていう感じになるなら、私は湖南ダンスワークショップも引退すると思います。

でも、「障害があるとダンスが踊れない」ということがないのと同様、「歳をとって身体が動かなくなったら踊れなくなる」ということもありません。私たちはいつ耳が遠くなるかも分からないし、目が見えにくくなるかも分れないし、いつ足腰が立たなくなるかも分からない。

でも、私自身が踊れるか踊れないかっていうことは、もう自分の意思次第です。日本の舞踏の世界には大野一雄さん(※7)みたいな超人がいるわけですよ。「動かないからここまでしか踊れない」という捉え方から離れ、「独自の身体があるからこそ、その人にだけできる」ダンスは絶対に作れると思います。

ただその代わり、信念というか覚悟というか、一人の舞台人として舞台に立とうとする意志は必要だし、全てがそこから始まるんじゃないかっていう気がするんですよね。ソロであろうが群舞であろうが、舞台に立つ時ってやっぱり一人なんですよ。

だから湖南ダンスワークショップでも、誰かの手を引いていくようなことはやりたくないんですね。舞台の上にお手伝いする人はいらんやろう、と思います。そんなことをしなくても、その人が出ていく瞬間の方がかっこいいわけですから。

その前提があったからこそ、森田さんとはお互いに「一人で立つ覚悟」への熱意に近いものがあると感じましたし、そんなソロダンサーたちだからこそ、あえて二人でユニゾンをする作品が生まれました。そこまでいくと、もはや「障害のある、なしを超える」といった言葉もいらないのではないかと思います。

森田:
私たちの活動のまわりだと「障害のある人、ない人が共に」や「障害を超える」といった言葉がよく出てくるじゃないですか。私も最初はそのメッセージを打ち出したプログラムが道を開くきっかけになったのですけど、今は、その言葉が良いかどうか分からなくなってきています。

だから北村さんが相手の手を引いたりはしないと言われること、分かるんですよ。そこには一人のダンサーとして、その相手の人とどう踊っていくかっていうことしかない。それは、障害を既に超えているというか、関係ないものになっているんですよ。

北村:
そうなんです。でもそれだけだと、世の中の人には届かない。本当は、まだ見たことがない人に対して、言葉では説明をしたくないんです。舞台を見てもらえたら本質的にどういうことか分かってもらえると思うので。でも、障害のある人・ない人が共に参加しているということを言葉で書かないと、湖南のダンスに関心を持ってくれるかもしれない人のところまで届かないこともある。だから、そういう言葉も使うようにしています。でもやっぱり、その言葉を使っている間はやっぱり本質は届かないんだよな、というジレンマはあります。

森田さんや湖南のメンバーと、そしてこれから出会っていく人たちとも、一回一回の踊りを一緒に積み重ねていきながら、届けていくしかないのだと思っています。

 

(※8)大野一雄
1906年北海道生まれ。土方巽と共に舞踏の生みの親といわれる。1980年、「ラ・アルヘンチーナ頌」「お膳また胎児の夢」をさげて、ナンシー国際演劇際初参加以来、ヨーロッパ各地をはじめ中南北米大陸、オーストラリア、アジア、イスラエル等で公演、ワークショップを開催。「舞踏」が「BUTOH」として世界中に広く認知される契機となった。2010年、享年103歳にて死去。腰を痛めて自力で立てなくなった後も、車椅子に座ったまま踊り続けるなど、生涯を通じて現役を貫いた。

 

森田かずよ
Performance For All People.CONVEY主宰。NPO法人ピースポット・ワンフォー理事長。二分脊椎症・先天性奇形・側湾症を持って生まれる。18歳より表現の世界へ入り、ある時は義足を身につけ、ある時は車椅子に乗りながら、女優・ダンサーとして活躍。循環プロジェクト、奈良県障害者芸術祭ソロダンス「アルクアシタ」、ニットキャップシアター、ヨコハマパラトリエンナーレ、庭劇団ペニノ、SLOW MOVEMENT他、多数の舞台に出演。第 11 回北九州&アジア全国洋舞コンクール バリアフリー部門チャレンジャー賞、DANCE COMPLEX vol.11 芸術創造館・館長賞受賞。神戸大学人間発達環境学研究科博士前期課程在籍中。

北村成美
ダンサー、振付家。通称、なにわのコリオグラファー・しげやん。6歳よりバレエを始め、英国ラバンセンターにて学ぶ。「生きる喜びと痛みを謳歌するたくましいダンス」をモットーに、ソロダンサー振付家として国内外で精力的な活動を展開。2004年より湖南ダンスワークショップの活動を始め、ディレクターを務める。平成15年度大阪舞台芸術新人賞。平成22年度滋賀県文化奨励賞。

 

2019.1.13 ウイングプラザにて採録

障害者表現活動の地域拠点づくりモデル事業

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